学生だった頃に、短期留学でカナダに行ってたことがありました。
留学と言っても2週間ほどの超短期なんですけどね。
もう5年前のことなのであまり鮮明には覚えていませんが、とにかく刺激的で充実した体験でした。
そこで感じたこと、学んだこと、今の自分の糧になってることをちょっと書いてみようかなと。
目次
留学を決めたきっかけ
僕が通ってた大学は福祉系の学校です。
心理学を専攻していました。
その中で海外の福祉を学ぶことを目的とした授業プログラムがあり、それに参加することにしたのです。
とは言ったものの、実はそんなに福祉の勉強には興味がありません。
僕がこのプログラムに参加することにした本当の理由はひとつ、外国に行ったことがなかったから。
行動が衝動的で若さを感じますね。
先生とか大人ってよく「若いうちに海外行っとけ」とか言うじゃないですか。
あれなんでなのかなって思って。
自分が見たことない世界を見てみたい。
行けるなら今のうちに行っておきたい
そんな軽はずみな理由でしたが親もお金を出してくれて、初めての海外旅行に行けることになったのです。
初めての外国!
いざカナダ。
初めての国際線。
初めての機内食。
入国審査。
初めてだらけで超わくわくです。
英語はそんなにできません。
何となく言ってることはわかるけど話すのはほとんどムリ。
友人や先生が一緒だったので本当に良かったです、一人じゃなくて助かった。
最初の1週間はビクトリアでの生活でした。
ビクトリアはとっても自然が豊かでめちゃくちゃ良いところです。
ホテル近くのビーコンヒル公園ってところが気に入ってよく友人と散歩しに行ってました。
たくさん動物もいて、そうそう、孔雀とかいましたね。あれ野生なのかな
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あ〜懐かしい。
1年に1回はこうやって写真見てカナダ行きたくなります。
いいところなんですよ〜。
ご飯も美味しかったです。
学食の高カロリー大ボリュームな感じがアメリカンで最高でした
カナダの福祉事情を聞いて世界が変わった
ビクトリアでは大学に通い、カナダの福祉についての講義を受けました。
ここでは想像以上に興味深い話を聞くことができました。
来る前は福祉に全く興味のなかった僕ですが、いつの間にか学ぶことに必死になっていた気がします。
今となっては講義内容なんてほとんど覚えていないんですが、それでも1つだけ、強烈に衝撃を受けた話があって。
本当に自分の世界観を一変させた話だったし、これだけは忘れたくないと思ったので紹介します。
ハーム・リダクションという考え方。合法薬物投与施設の存在
カナダは、薬物問題が非常に深刻な国です。
もちろんカナダでも薬物は違法です。
でもすでに依存症になっている人が多すぎて、法律で取り締まることが不可能なレベルまで発展してしまっているのが現実。
すると驚くことに
カナダには合法で薬物を安全に投与するための施設があると言うのです。
薬物中毒者は放っておくと公共の場でも薬物を使用してしまったり、貧困のため使い古しの注射針を共有したりしてしまい、そうするとHIVなどの感染症が広まる恐れがあります。
実際、カナダは過去にHIV感染者数が世界1位になったこともある国です。
また薬物の過剰摂取で死に至る人も少なくないそう。
そこでこういった施設を設けることで、看護師やカウンセラーの監視のもと、清潔な針などを提供し、せめて安全に薬物を使用させるという対策が取られている、ということなのです。
この対策の根本には、ハーム・リダクション(Harm reduction)という概念があります。
要するに「有害使用の軽減」。
依存者は急に薬物使用をやめることができません。
法律で禁止しただけでは何も変わらない。
だったらせめて感染などの二次被害を防ぐために安全に使用させて、その中でゆっくり回復へのサポートをしていこう、という考えなのです。
日本人の価値観で考えてみたらびっくりしますよね。
これを見ても「ありえない」と感じる人もいると思います。
ただ、この対策によってカナダは確実に前進しています。
ルールで取り締まったり、「普通に考えておかしい」と言って責めるだけは何も変わりません。
それでは一歩も前に進めない。
彼らは前に進むための最善の策を提案し、行動に移しているのです。
インサイトは理にかなっている、とリアンネは言う。不潔な環境での注射、汚水の使用、針の共有などを減らせるからだ。
「この問題をモラルで語るのをやめなくっちゃ。これは医療的な問題なんです。われわれアディクトは、統計上の数字じゃない。だれかの母であり、姉であり、娘なの。他人事じゃないのよ」
引用:カオルとぼくと仲間たち
ぼくにとって言葉を失うほど衝撃的な話でした。
自分の知らない世界がある。
世界って広いんだ、と感じました。
多文化主義国家であるカナダ
また、カナダは多文化主義国家としても有名な国です。
滞在期間の後半はバンクーバーで過ごしたのですが、飲食店だけ見てもそれが感じられました。
中華、韓国料理、もちろん日本食のお店もいたるところにあります。
(ちなみにラーメン屋の「さんぱち」を見つけて嬉しくなってラーメン食べました)
色んな国が、色んな人が一緒くたになって、共生している。
それがカナダという国に僕が抱いた印象です。
「世界には色んな人がいるんだ」
カナダに行って、僕は色んなことを考えました。
日本とは全く違う国で、全く違う文化があった。
自分たちの当たり前がそこでは当たり前じゃなかった。
たくさん「まじか」「ありえない」と思うこともありました。
でもそれらの非日常を通じて、僕はこの上なく当たり前のことに気づいたんです。
ということです。
“色んな”って、本当に色々なんです。
本当に当たり前のことでしかないんですけど、自分と同じ人間なんて一人としていないんです。
北海道と東京の人でも全然違うし、日本と海外だったらもっと違う。
それは国や地域、育った環境、周りにいた人、全部一人一人違うから。
だから価値観の違いがうまれる。
自分と違う相手の考えに触れてびっくりすることがあったり、それってどうなの?って思うことがあったり。
でもそこで一番大事なのは、それを“理解”することなんて不可能だってこと。
Twitterを見てたら興味深い言葉を見つけました。
テレビのインタビューで「私は統合失調症で、普通の人がしていない苦労をしている。でも、普通の人がしている苦労を私はしてないんだろうなとも思う」と言ってて、すごい名言だと思った。病気かどうかに拘わらず、すべての人は他の人が知らない苦労をしてるし、かつ、他の人がしてる苦労を知らない。
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) 2018年1月20日
これ、本当に考えたい言葉です。
自分が経験してない人生を理解なんてできるわけない。
受け入れられないことだって絶対あるけど、安易に否定してしまうのはとても軽率な行動だと思うんです。
じゃあ受け入れられないことに対してどうすればいいのか?
受け止めるだけでいいんです。
「そういう考え方があるのか」
「そう思うんだね」
それだけでいいんです。
受け入れようと、理解しようとしなくていい。
それをするとお互い、ストレスになってしまいます。
否定しないということだけで、物事はマイナスにならず、きっとちょっとだけ良い方向に向かうんじゃないかと、僕は思うんです。
まとめ
大人たちが「海外に行け」って言う理由が少しわかった気がします。
海外じゃなくても、例えば職場を変えたり、コミュニティを広げたりして、若いうちに色んな“色々”を見ておくべきなのかもしれないなあ、なんて思います。
「受け入れる」のでなく「受け止める」という言葉を、就活中に出会った人に教えてもらいました。
キャッチボールみたいなイメージです。
投げられたボールはそのままグローブで弾き返したりしないよね。一度キャッチしてからです。まずはそこから。
価値観の違いは誰しもがぶつかる壁です。
でもそうした違いを「面白いな」と思えたら。
もっと自由でカラフルな世界になっていくのではないでしょうか。
そんな世界になったら素敵だなと、ぼくは思います。
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