スキーで骨折して3回手術した上に仕事を辞めた話。




 

今から3年前。大学の卒業式を終えて就職を目前に迎えた3月の話です。

サークルの仲間と5人でスキーに行くことになりました。

ちなみにメンバー構成は
ぼく・同期・後輩・後輩・後輩。

 

スキーは別に苦手でも得意でもありません。
でも中学卒業以来スキーに行くことは一度もなかったので、約5年ぶりの挑戦。

不安もありましたが、大学最後の思い出作りとしてのワクワクの方が何倍も勝ってました。

 

5年ぶりのスキー

他のみんなもスキーが久しぶりな人ばかりだったので、最初は初心者コースをゆるゆる滑りながら感覚を取り戻します。

滑ってみたら思ったよりイケる。

結構滑れるやん?

って感じで中級者コースにも行ったりしてしばらく楽しみました。

自分の体で感じる風が気持ちいい。
たまにはウインタースポーツもいいもんだ。

 

「女子大回転」

昼休憩を済ませて次は違うコースをとリフトで上まで登ると、そこには2つの分岐がありました。

右に行けば初心者コース。
ひたすら緩やかな道が下まで続く、お子様も安心の林間コースです。

対する左側は、前方に道が見えません。
斜面は限りなく下に、それも恐ろしく長く続いていました。

 

見下ろすほどの超急斜面。

札幌オリンピックでも使用された実績を誇る、
その名も「女子大回転」

1人が「行こう!」と言います。
もう1人「私も行きます!」と残る。

5人いた内の2人は「やめときます」と安全な初心者コースへ。

 

正直ぼくも、初心者コースの緩やかさには物足りなさを感じていました。

ちょっと怖いけどさ、こういう急斜面ってあれでしょ?
細かくくねくね曲がりながら降りればいいんでしょ?

 

いけるべ。(道産子)

 

この哀れな判断をした事を、僕は一生後悔することになる。

 

いざ滑走

前の2人が先に滑っていく。

すげえ。滑れてる。(ちなみにその2人はボード、ぼくだけスキー)

 

よっしゃ、行きますか。

 

滑り出しは快調です。

イメージした通りに大きくカーブをとって、目一杯の“ハの字”でゆっくり慎重に。

 

ところが。

 

だんだんそのカーブの描く弧が小さくなっていきます。

あまりの急斜面に大きく描いていたはずのカーブはじわじわ直線へと変化していきました。

ハの字もいつの間にか真っ直ぐ。

もはや“Ⅱの字”。

 

ああれれれれ?

待って待って

これひょっとしてやばいのでは?

 

「やばい」

どんどん速くなるスピード。

制御不能のまま、体感したことのないようなスピードで斜面を駆け下りていきます。
体感速度は車のそれを軽く越えていました。

 

コースの下の方で先に行った友人が待っているのが見えます。

 

止まらなきゃ。

でも無理。止まれない。

どうする。どうしよう。どうすれば。

 

やばい。

 

や ば い(語彙力)

 

これもう止まるの無理だ。

このまま下まで行くしかない。

 

彼の近くを「ああああああああああ…!(ガタガタ)」と言いながら猛スピードで駆け抜ける。

 

飛翔。

なんとか大きくカーブは曲がれました。

 

しかしその直後にぼくは宙を飛んでいました。

 

体感3秒くらい。

 

この時のことはよく覚えていません。

記憶がないというよりは、速すぎて何が起こったのかわからなかった。

おそらくですが、カーブ地点の緩やかさとその先のコースの落差でジャンプ台みたいになっていたんだと思います。

 

投げ出されたぼくの身体は地面に叩きつけられ、何度かバウンドしてようやく、止まりました。

 

擬音にすると、

ゴしゃっ、べしゃっ、どしゃああ

って感じでした

 

束の間の安堵

意識はありました。
仰向けに倒れた状態で空を見上げていました。

 

頭の中は

生きてる…
良かった…
止まった…
怖かった…
でも生きてる…
死ぬかと思ったーーーーー…

といった全力の安堵。

 

あれ、メガネがない。
スキー板もゴーグルも全部ない。
と思っていたら「大丈夫ですかー?」と見知らぬ人が拾って持ってきてくれました。

恥ずかしい。

あの時のおにーさん、ありがとう。

 

全身痛くて動けなかったのでしばらくぼーっとしてたら友人が無事を確認しにきました。

友人「大丈夫?そのまま行っちゃうからびっくりしたわ」
ぼく「ごめーん。なんとか大丈夫ー」

 

そこで初めて身体を起こそうと足に力を入れようとして

 

ぐにゃり、と。

右足がよくわからない曲がり方をしました。

 

「……???」

 

一瞬思考が停止して時間が止まる。

 

まだ整理し切れていないその頭で、ぼくは彼に一言だけ伝えました。

 

「ごめんちょっとやばいかも」

 

太ももがおかしい

膝から下、足先は動いてました。
でも右太ももの感覚が明らかにおかしい。

うまく力が入らなくて、足先で立とうとすると、ぐでん、とおかしな曲がり方をする。

 

動けそうになかったので先ほどスキー板を拾ってきてくれた人にレスキューを頼む。

その時はまだ何もかも実感がなく、「ごめんやっちゃったよ〜」とヘラヘラ笑っていました。

でもそうしている間も痛みは強くなっていきます。

 

レスキューが到着した頃には、ウェアの外からでもわかるくらいパンパンに太ももが腫れていました。

「まだわかんないけど股関節の脱臼じゃないかな」
とレスキュー隊の人。

 

救急用のソリ(?)に乗せられ運ばれる。

揺れがすごくて足に響いてめちゃくちゃ痛い。
引き摺りの刑か何かか。

 

結局救急車で運ばれて病院へ。

ああみんなごめん、
せっかく楽しい日だったのに

 

想像を超えた診断結果

病院に着いてからのことはもうよく覚えてないんですが、レントゲン撮ってから応急処置としてなんかものすごい痛いことをしたってことだけ覚えてます。

 

レントゲンを見ると、太ももの骨がガラスのように粉砕していました。

 

「右大腿骨骨幹部粉砕骨折」

それが診断名でした。
骨折の中でも最高レベルの重傷だと告げられる。

 

普通に転んだだけならここまで重傷にはならなかったはずなんですが、スキーのストックが曲がっていたことから考えて、おそらく足と地面との間にストックが入って、衝撃がその一点に集中してしまったんだと思います。
あくまで推測だけど。

 

え、てか就職どうしよう。

あ、卒業旅行もキャンセルしなきゃ。

来週最後のライブもあるけど出れるのかな。

てか待って、もしかして明日の追いコン行けないの…?(まさかの自分が追い出される追いコンの前日の出来事)

 

そのあと一緒に病院まで来てくれた友人たちに結果を話して号泣。

なんか変に色んな感情溢れてめちゃくちゃ泣きました。

割と大学の4年間をサークルに注いだようなところがあったので、自分の追いコンに行けないのは今でも引きずるくらい悲しくて。
追いコンで流すはずだった涙が全部そこで出ました。

 

5時間50分の大手術

急を要する状態だったので翌日に手術。ちなみに手術も初めての経験でした。

 

大まかな手術内容としては

  1. 砕け散った骨を取り除く
  2. 髄内釘(金属製の芯棒)を骨の中に入れて固定
  3. 周りの骨を患部に移植

といった感じ。

 

計5時間50分を要する大手術だったようです。

ちなみにこの日の夜はサークルの全体LINEに流れる追いコンの楽しそうな写真を見ながら一人ベッドでぽろぽろ泣いてました。
こんな可哀想な人なかなかいないと思います。

 

リハビリを経て、一歩遅れの社会人生活スタート

そこから1ヶ月半の入院、3ヶ月のリハビリを経て、6月から少しずつ働き始めることに。

4月の入社式にも出られなかったのに入社を先延ばしにしてくれて、さらにフルタイムではなくアルバイトから始めて身体の調整をするのを快く許してくれた職場の存在は本当にありがたかったです。

怪我した時「就活やり直しかも」って思ったもん。良い会社に恵まれたなあと思います。

 

でも、仕事を始めてから思ったのは

「この経験(怪我)して良かったな」ってことです。

もちろんこんなこと言っちゃ迷惑かけた人たちに申し訳ないんですけど。

 

3ヶ月何もできない期間があったおかげで、ろくに身体も動かせない期間があったおかげで、仕事がものすごく楽しく感じられたんです。

結構きつい体力仕事ではあったんですけど、働いて身体を動かして汗を流すことが本当に気持ち良くて。

もっと言うと、術後初めて右足で地面を踏んだとき、歩けること・健康であることがどれだけ幸せなことかわかったんです。
これはこうなってみないと分かりえなかったこと。

 

この怪我を通して当たり前の健康が何より幸せなんだなってわかりました。

得したなってポジティブに捉えることができて本当に良かったです。

 

まさかの再手術

このまま幸せな気分で終わりたいところですが、実はここからが本番。

 

1年ほど経ち、仕事を続けていたある日、足に痛みがあることに気づきました。

明らかに例の骨折部分。

不安になってレントゲンを撮りに病院へ。

 

すると、どうやら回復(再生)すると思われていた骨がくっ付いていない。

偽関節というものができていました。

偽関節は手術やギプスで固定しても折れた骨がくっつかない。そのまま固まり、あたかも偽物の関節ができたような状態。
出典元:治りにくい骨折「偽関節」 進む治療法|NIKKEI STYLE

 

やむなく2度目の手術をすることに。

仕事は休職。

悔しくてまた号泣。

 

再び仕事復帰

2度目の手術は、髄内釘をより太いものにして、偽関節になった部分に骨をくっつけるというものでした。

術後2週間で退院、リハビリは念を入れて5ヶ月間。

長い我慢の末、無事再び職場復帰を果たします。しかし…

 

まさかまさかの再々手術

仕事開始から半年後。

再び痛みを感じ、嫌な予感を胸に病院へ。

 

パッと見、レントゲンに異変は見られず
担当医も「特に問題はなさそうですけど…」と言いながら異変を探す。すると。

「あ…これ(髄内釘)曲がってますね。」

近くでよく見ると、骨の中に入っている金属棒が僅かに角度をつけて曲がっていました。

 

つまり髄内釘が折れた

嘘だろ、チタンだぞ…

 

「これはちょっと、危険ですね…」

担当医も驚いていました。
髄内釘が折れるということは滅多にないらしい。

僕も頭真っ白。

他の先生も集まってきて出た結論がこう↓

 

「少し考える時間をください」

そして

「明日からの労働は禁止でお願いします」

 

それまでも労働時間を制限されるなどということはあったけど、禁止は初めてでした。

さすがに声も出せないほどショックだったけど、もう道はそれしかなく。

全然わかってないけど、「わかりました」と病院を後に。車の中でまた号泣。

 

会社を退職

悩みに悩んだ結果、翌日の仕事だけは医者に内緒で出勤して、店長に相談してその日で退職させていただくことにしました。

また休職という手段も選べたんですが、3度目ともなると職場の人に合わせる顔がなかったし、仕事復帰のために焦ったりすることなく今度こそじっくり完全に治したいという思いもあったので、泣く泣く退職を決断。

悔しくて情けなくて、何より申し訳なくて、また号泣。

職場には最初から最後まで迷惑ばかりかけてしまいました。
大好きな職場だったので、あんな去り方したくなかったというのが正直なところです。

正直言うと今でも悔しい。

 

3度目の正直

そんなこんなで無事3度目の手術が終了。

内容としては

  1. 折れた髄内釘を取り出す
  2. より太い髄内釘を入れる
  3. 腸骨(腰横の骨)を大腿骨に移植

といった感じ。

腸骨を取ったのは初めてだったんですがこれがもうめちゃくちゃ痛かったです。
足より100倍痛くて、くしゃみするたびに死にかけました。
ほんとにいてーの。

でも術後のレントゲンからは担当医の「これでもか!」という熱意を感じられました。

3度目が悔しいのは医者も同じだったんだと思います。
一瞬でも医療ミスを攻めようと思ったのを反省。

 

今、思うこと

2018年1月現在は術後3ヶ月後といったところで、リハビリ通院を終えて、自宅での筋トレと超音波治療を続けています。

先週レントゲン撮ってきたんですが、順調でした。
先生曰く、3ヶ月後の4月には完治してるだろうとのこと。

 

ここまで3度の手術入院を繰り返してきました。

この3年間を経て、さらに仕事を辞めたぼくが今何を思うか。

 

目標:スポーツできるまで、120%完治させる

まず今第一に考えるのは当然ですが完治させることです。
現時点で普通に歩くことはできるんですが、走ることはまだ無理です。
痛みもあるし、筋肉がない。

足を怪我してからずっと思ってたのが「スポーツできるようになれるかな」ということ。

医者が言うには可能みたいですが、やっぱりそれなりにしっかり意識して治さないと難しいです。

だから最優先の目標はスポーツができる状態まで治すこと。
それまでは就職はしないつもりです。

小中高とやっていた硬式テニスをまたやりたくて。
それからボルダリングとか、あとバドミントンとか、思い切って登山もしたい。

 

僕は今25歳です。
まだまだ若い年齢だと思っています。

今しっかり治して、今後の人生で好きなことを好きなようにできる自分でありたいんです。

 

「好き」を仕事に

僕にとって前職は、天職と言っていいほど好きなことでした。
今回やむなく辞めることになってしまって悔しい思いもたくさんしました。

でも辞めてみて知ったのは、働き方はひとつじゃないということ。

自分の知らない、数え切れないほどの仕事があって、やりたいことを仕事にすることは可能だということ。

やっぱり好きなことをして生きていきたい。
自分の好きなことで他人に喜んでもらいたいという考えに至りました。

 

このブログを始めたのもその想いがきっかけです。

家でできる仕事、さらにもし就職した後も副業として続けられる仕事として、ブログを知りました。
これなら家にいながら収入を得ることができるし、何より文章を書くことは僕にとって好きなことでした。

自由度の高い、自分が納得できるもの。

これだ!って思いました。

色んなブログや、本などを読んで学びながらこのブログを開設しました。
ページを作ってる間中ワクワクして、これを書いている今も楽しくてしょうがないです。

 

この経験は必ず糧になる

途中でも書きましたが、怪我してからのこの3年間は決して無駄ではなかったと思っています。

すごく辛かったし、苦しいことの方が多かったのは事実ですが、だからこそ当たり前の幸せを幸せだと感じることができるようになりました。

美味しいものが食べられて幸せだし、いつでも自分の足で散歩できて、それだけで、それこそが幸せです。

辛いことを経験した人はその分人に優しくなれると言いますよね。
その通りだと思います。

ただの骨折ならまだしも、ここまでの経験をした人は少ないと思います。

人がしたことのない経験をしただけで価値があったと思うし、もし今後同じような経験をする人がいた時にはその人にこのブログが届いたらなあなんて思います。

大丈夫。
怪我も仕事もなんとかなるよ。

 

まとめ

最初の記事は何かインパクトのあるものをと思って、僕の人生で一番「The・人生」なものを書いてみました。

これからも僕が好きなことを好きなように好きなだけ、ゆるゆると書いていきます。

それが少しでもあなたにとってプラスになってくれたなら幸いです。

 

最後まで読んでくれてありがとうございました!

良ければ他の記事も見てみてください!

 

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