ゴミの分別は必要ない。日本の異常な分別文化




 

ふと思ったんです。

「ゴミってなんで分別しなきゃいけないんだ?」って。

 

旅館の仕事をしてて、客室のゴミ箱から集めた大量のペットボトルのラベルをみんなでペリペリはがす作業があって、だいたい3人で5分くらいかけてそれをやる。

面倒臭がり屋なぼくは「これやんなきゃだめなんすか?」と言ってしまいました。

すると「当たり前でしょ」と先輩。

 

いや確かに当たり前だけど、でもあまりに面倒じゃない?

なんでこんな面倒くさいことしてんだ自分?って思っちゃったんですよね。

 

なんとなく。なんとなくはわかる。

3R、リサイクルだとか、エコだとか、あとゴミ処理場の人の手間削減とか、だいたいそういうのだきっと。

でもちゃんとは知らない。

 

「なぜ?」の部分。本質的な理由を理解して自分の意思で行動をしたいと日々思っています。でなければぼくらはいわゆる“社会の操り人形”だ。

 

ゴミの分別は「常識」として今まで当たり前にやってきた文化です。

でも今回この「常識」に疑問を持った。なのでちょっと疑ってみることにしました。

 

ゴミの分別は必要なのか?

ゴミを分別しないとどうなる?

まず、ぼくらがゴミの分別をしないと身近なところでどうなるのか。

・ごみ収集の際に業者が持って行ってくれない

・アパートやマンションの管理人や管理会社、自治体から注意される

このようなことになります。

まあ、人に迷惑をかけることになりますよね。これはちょっと考えればわかることです。

 

なぜゴミの分別が必要なのか?

でもそれって、言ってしまえば「日本がそういうシステムだから」ってだけの話ですよね。

結局のところ、ゴミの分別をしないことで、本質的に何がどうなるのでしょう?

 

昔からよく言われてきたのは、①「このままだとゴミを捨てる場所がなくなる」、②「ダイオキシンが出るという二つ。

これを読んでるあなたもそう教わってきたのではないでしょうか?

しかし、実はこの2つともに大きな間違いがあるのです。

 

①「このままだとゴミを捨てる場所がなくなる」

ゴミ処理場が山のようになっている写真を見たことがあると思います。確かに、このままだとゴミを捨てる場所がなくなってしまうという気持ちにもなる。

しかし実際どれくらいでその期限がくるのかというと、実はあと150年は大丈夫だとされています。

100年以上大丈夫なんですよ?100年あれば、そもそものゴミを減らすことや、ゴミ処理技術の発達だったり、色んな対策ができると思いませんか?

いやまあ正直未来のことなんてわかんないし、「そんな不確かなこと言って責任取れるのか!」とか言われそうですけど、100年やってそれでだめならそれはもう人類や地球の限界ってことだと思う

延命治療なんて虚しいだけだよ

そのときはそのとき。諦めて歌でも歌おうぜ

 

②「ダイオキシンが出る」

ダイオキシンに関しては、実はダイオキシンは大して毒がないという研究結果が数多く発表されています。知ってましたか?

「ダイオキシンの毒」はそもそも学問的に根拠がなく、テレビなどのメディアが過剰に煽って毒物に仕立てたものだったのです(全く無害というわけではないですよ

 

要は①も②も、政府やメディアが過剰で不合理な論理を繰り返した結果広まったものであり、その産物として日本の細かすぎる分別とリサイクルが始まったのです。

 

日本と世界のゴミ事情

日本の異常な分別文化

日本のゴミ分別の細かさは世界と比べてもかなり異常なレベルです。

ほとんどの国は「可燃・不燃・リサイクル」の3種類か、または「一般ごみ・リサイクル」の2種類

それが日本だと、8種類以上に分別されることがあります。

この差はいったいなんなのか?

 

世界のゴミ分別事情

西豪州ではビンも缶も燃えるごみもすべて一緒の回収箱で、ゴミが回収された後に分別されているそうです。

このように他国のゴミ処理業は効率化が進んでおり、ゴミ処理企業の規模が巨大になっています。そこが日本との大きな違いの一つ。

そうした企業からすると、市民に細かく分別させるというのは無駄でしかない。むしろ迷惑ですらあるのです。

なぜかというと、細かく分別すればするほど物流効率が悪くなるから。

分別したゴミごとに専用の収集車を何台も使って集めなければならなくなるので、それにかかる労働力、収集車、時間が莫大に増えてしまう

実は、ゴミの処理で一番お金がかかるのは物流なのです。

 

アメリカでは「ドロップ・オフ」といって、住民にゴミを持ってきてもらうシステムがあります。

また、ビンや缶、ペットボトル、新聞・雑誌まで「リサイカブル」という括りで一緒くたになっています。

徹底的に物流効率を上げてコストを下げる工夫がされているのがわかりますよね。

ゴミ処理の前半ではあえて分けず、後半でプロが分ける。

スマートで合理的で効率的。これが世界のゴミ処理の常識です。

 

なぜ日本はゴミ分別に執拗になっているのか?

ではなぜ日本では他国のようなゴミ処理の効率化をせずに、家庭単位で細かなゴミ分別をしているのでしょうか?

 

ゴミ処理業の縦割り化

大きな理由の一つが、ゴミ処理業の縦割り化

日本ではゴミの収集が市町村ごとの縦割りになっているため、海外のようなゴミ処理業の大規模化が進んでこなかったのです。

地域でゴミの分別に違いがあったりしますよね。それもこの縦割り化が原因です。

ゴミの分別が細かい地域は、人口が少なくて焼却施設の処理能力が低いゴミの分別が大まかな地域は、人口が多くて焼却施設の処理能力が高い傾向にあります。

 

「ルール」に厳しい国民性

そして日本人の性格。「ルール」に厳しい国民性も大きな原因になっていると思われます。

日本では「ルールは守るもの」「ルールだから守る」という考え方が非常に根深く、ルールを守らない人は非常識だと思われてしまう。

さらにそういった「他人の目」を気にして社会的で多数派の行動をとるのも日本人の特徴ですよね。

そんな真面目な国民性を行政は利用して、本来行政がお金をかけてまとめてやったほうがいいはずのゴミ分別を、国民に押し付けているのです

 

リサイクルは資源の無駄遣い

「リサイクル」と聞くと環境にいい気がしますよね。

実際にリサイクルによってつくられた商品もたくさんあります。

 

しかし実は多くのリサイクルは資源の無駄遣いになるって、知ってましたか?

 

たとえば再生紙

「紙の使いすぎは森林破壊につながる」と言われて、リサイクルされた再生紙などが出てたりしますよね。

実はリサイクル紙を作るには、資源をかえって多く使うのです。

リサイクル紙をつくるためには、通常よりも多量の石油を使います。

しかも紙の原料は繰り返し使うと繊維がダメになり劣化するので1回か2回しか再利用はできない。

 

膨大な税金を使い、エネルギーや資源を浪費し、さらに環境を悪化させる

それがリサイクルの実態なのです。

ちなみに大手の製紙会社はきちんと森を管理できているので、紙の使いすぎで森林破壊は起こらないのだそうです。だから紙が森林破壊を進めているというのも実は大きな誤解。

 

なのになぜそれが良いこととして広まっているかというと、政府やメディアの過剰な煽りをその真面目な国民性をもってみんなで安直に従ってしまったからです

これ聞くと、ちょっとやばいな日本って思いますよね。

 

だから

分別やリサイクルの無駄を国全体が認知し、ゴミ処理業を大規模化すること。

これが今一番大切なことです。

本当に環境を大切にしたいと思ってるなら、まずはそこから始めないといけません。

 

まとめ

ゴミ分別は家庭ではなく大規模化したゴミ処理業者に任せたほうがいい。しかし今の日本はそういう仕組みができてないのが現状。

国や役人や業者の利権のために、国民はありえない異常なレベルの分別を、高い税金を払いながらされているというのが、日本の現状です。

これをどれだけの人が理解できているでしょうか。

書いたぼくも、調べて調べてやっとわかった答えです。

「ルールはつくった人が一番強い」というツイートを最近見たけど、ほんとその通りだよなあと思いました。

ましてルールに敏感な日本。

誰かが大きな声をあげて変えていかないと、搾取されていることに気づかないまま、一生を終えることになるんだろうな。

 

分別は「可燃・不燃・リサイクル」の3種類でいいですね。

ペットボトルとかプラスチックってゴミ処理場では燃えるゴミのための可燃材に使われるらしいですよ。そんなんもう100%燃えるゴミやん。

ちなみにリサイクルで有効なのはアルミ缶などの金属。これらは貴重なのでリサイクルの価値があります。

 

常識を疑え。

何においても、知識や理解があって行動するのか否かで、行動の意味が全く変わってきます。

「みんなやってるから」「昔からそうしてきたから」じゃなくて、「なぜそうしているのか」から考えてみる。本当に必要なのかを疑ってみる。

今回のような、常識に対するふとした疑問を胸の内に留めずに、調べて、理解して、アウトプットする。という流れはとても大事だなあと思いました。

 

「当たり前」なんてない。すべての事象には理由があります。

それを忘れずに過ごすようにしたいです。

 

「常識」こそが、ゴミクズかもよ。

 

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