ぼくは今後パン屋をやってみたいと考えています。
まだ何も決まってないけれど、これからどこかのパン屋でパンづくりを学んで、5年以内を目標に自分のお店を開業したい。
先日、本屋に立ち寄ってビジネス書や開業書の棚を見ていると、興味深い本を発見。
ちょっと立ち読みして面白かったので購入しました。
今回はその本を読んで思ったことを書いてみます。
「月を見てパンを焼く」塚本久美
本のタイトルは「月を見てパンを焼く」。
兵庫県丹波市の山奥でひとり、通信販売限定のパン屋さんを営んでいる女性、塚本久美さんが書かれた本です。
パン屋の名前は「ヒヨリブロート」。(HIYORI BROT – 旅するパン屋)
2016年の開業から2年も経っていない、さらには店舗を持たない通信販売のお店にも関わらず、なんと5年先まで予約が取れないという超人気店に。
代表の塚本さんがどのような人生を歩んできて、どんな思いでパンづくりに向き合っているか。またどんな生き方を大切にしているか、そんなことがこの本にまとめられています。
月の満ち欠けに合わせて働く
新月から満月を越えて5日間の、月齢ゼロから20の間は「パンをつくる時間」。満月の6日後から新月の、月齢21から28の間はパンをつくらず、生産者さんや食材との出会いを求めて旅に出ます。
塚本さんの働き方で、特に面白いなと思ったことのひとつが、月の満ち欠け(暦)に合わせて働くという点。
これは塚本さんがドイツで出合った「バイオダイナミック農法」という有機農法で、「生産システムそのものが生命体であり、人間もその生命体の動きに合わせて生活して豊かになりましょう」という考え方なのだそうです。
ただ月齢に合わせるというだけではなく、毎月旅に出る期間を設けているのが素敵だなあと思うところで、塚本さんは食材や生産者さんとの出合いとつながりを非常に大事にしている人なんだなと感じました。
また、場所や時間にしばられずに働きたい、という考え方にも個人的にとても共感できます。
でも、場所や時間にしばられず、つくりたいパンをつくって、ときどき旅に出るという自由な働き方を試してみたいという気持ちがありました。やってみなくちゃ分からない。やってみてダメだったらまた考えようと、「ヒヨリブロート」は歩き始めました。
パンを捨てないパン屋をつくりたい
パンをつくるという工程を思いっきり楽しめて、全部きちんと誰かに食べてもらえて、手元からなくなっていく。これこそが、私のやりたかったパンづくりです。
「自分がつくったものは誰かの手にわたるから価値がある」
塚本さんはそんな考えを持っています。これにもすごく共感しました。
ぼくも以前、大きなパン屋で働いていたのですが、大型店となると閉店直前までパンが売れきれないように残しておかないといけない。そうすると閉店後に残った大量のパンを捨てることになるんです。
大きなビニール袋にぽんぽんと投げ込まれていく、自分たちが一生懸命心を込めてつくったパン。それが何袋も。あればっかりはどうしても納得できなかったものです。
何かを「つくる」というのは、自身が楽しむ自己満足の価値と、誰かの手に渡ることで生まれる価値の両方があるのだと、ぼくも思います。
ましてパンづくりには小麦に始まり多くの生産者さんの命を削ってつくった食材が使われています。それを捨てるというのはあまりにも酷なこと。
ものづくりをする職人にとって、つくったものがきちんと誰かの手にとどくことを考えることは、とっても大切なことだと思います。ぼくも「捨てないパン屋」にはこだわりたいです。
本場ドイツのパン事情
「うちの食材は、すべて半径60キロ圏内で採れるものだから、誰がつくっているかも分かるし、食材を運んでくるお金もかからない。だから安く、たくさんつくれるんだよ」
ドイツには、設定ボタンを押せば材料を一気に計量して生地をこねてくれる大規模な機械があります。住宅街にある小さなパン屋さんにすらそれがあることもしばしばですから、ドイツ中のパン屋さんの多くが機械化されているといえるでしょう。工業化されているので、労働時間も短く、会社員と同じように、8時間勤務できっちり帰れる生活が送れるのも、日本との大きな違いです。
ドイツはフランスに並ぶパン大国です。パンの消費量は日本とは比較にならないくらい。
パンが日常的に食べられているからこそ、パンづくりの工程も大量生産が基本。
安くたくさんつくるために、流通コストを削減したり、パンづくりの機械化も進んでいて、とても合理的です。
一方、日本のパン屋の多くは労働環境が非常に過酷なんですよね。
安く売って利益を出すためには大量生産しないといけないから人件費もかかるし、1つのパンをつくるのに5〜6時間かかるから、労働時間も8時間に収まるところなんてめったにない。
そういった点は日本のパン業界の課題だと思います。
ただ、ドイツのように機械化するのにも莫大なコストがかかるだろうし、日本人のパン消費量には割に合わないのかなあ。そうなると正当な価格設定が肝ですよね。
ぼくはとても面倒くさがりな性格なので、手をかけるところはかけつつ、心に余裕をもった暮らしをするための仕事の効率化にも尽力したいと思っています。その辺も勉強していきたいですね。
労働への正当な対価を支払うこと
つくり手にきちんと対価が支払われているか、自分がパンをつくることで、世界のどこかの生産者さんの労働力を搾取することになっていないか。「食」を扱う仕事をする上で、いつも考えていなければいけないことだと思っています。
先ほども書いたように、日本のパン屋はとても過酷な労働環境です。
しかしそれなのに給料は低い。
あれだけ大変なパンづくりをしている職人に対して、正当な対価は支払われているのか?という点は、ぼくも考えることが多い課題でした。
塚本さんの、食材の生産者に対してきちんと正当な対価を支払いたいという姿勢はすばらしい。
安いことはいいこと。だけど、その安さはつくり手の生活を苦しめていないだろうか?
つくり手があってこその「食」への幸福。
いいものには正当な対価を支払ってあげないと、生産者は生活を続けることができず、ぼくらの手にも届かなくなってしまいます。
「食」はぼくらの命を支えるものだからこそ、生産者さんの生活にしっかり目を向けることはとても大切なことですよね。
まとめ
私の人生は、誰かが提案してくれたことに身をゆだねてみることで、たくさんの転機を迎えてきました。
そういうときには、自分一人のエネルギー以上に頑張れるし、わくわくして新しい発想も生まれてきます。
これはもしかすると、誰にでも当てはまることかもしれません。自分が思っている自分なんて、可能性の本当にひとかけらで、周りの人のほうが自分の客観的な価値や可能性がよく見えている。何気なくしてくれたアドバイスが、新しい道へと手を引いてくれるのです。
とてもいい本に出会えました。
パン屋を志す一人として、また自由な生き方や働き方を試みる人間としても、とても参考になる本です。
場所や時間にしばられず自分らしく自由に働いて、誰かの1日の小さな幸せをつくる仕事ができたらきっと幸せだろうな。
そんな風に改めて感じました。
今はまだぜんぜん動けてないぼくですが、一歩一歩進みたいと思ってます。
そっと見守っていてくれたらありがたいです。
コメントを残す